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2006年10月03日

町家でわびきたす、入り隅みの広場と出隅みの広場

わびきたす(和びきたす)というのは「和」とユビキタス、あるいは「侘び」とユビキタスを合わせた造語で、研究室の中村先生などが取り組んでいるプロジェクト。

ユビキタスは人間の生活環境にコンピュータを埋め込むという考え方だが、往々にしてセンサーが剥き出しのまま並べられていたり、監視カメラが無愛想にこちらを睨んでいたりする。

美しくない。
ということで、風流に、和の空間と調和するユビキタス化を進められないかという着想である。
日本には昔から「隠す美学」があって、それをユビキタスに適用したのがワビキタスなのだそうだ。

石田先生のプロジェクトで京都の一角に借りている町家にて先日、その研究会が行われた。

僕はその日は別の打ち合わせで遅くなったため、メインの話は聞き逃してしまったのだが、NICTの是津さんが会の後半で突如として持ち出したスライドがなかなか興味深かった。和びきたすというより、西洋と日本の都市空間を比較したスライドで、本人いわく、西洋の都市空間から学ぶ所も多いということで持ってきたらしい。

元ネタは芦原義信「街並みの美学」(岩波現代文庫)という本。

特に面白かったのが、広場には入り隅と出隅みの二種類があるという指摘。

入り隅みとは、広場の角っこで建物の占める角度が270度になっている場合。
出隅みとは、広場の角っこで(個々の)建物の占める角度が90度になっている場合。

入り隅みの広場は包み込まれるような空間であり、人が集まる。

たしかに日本には入り隅みの広場が少ない気がする。
日本の公園は周囲が道路で囲まれていることが多く、横断歩道を渡らないと公園に入れない。
これによって人の流れは遮断され、公園を横切る人の数は少ない。
建物に包まれているような安心感もない。

一方、ヨーロッパではこういった四隅が建物で囲まれた広場をよく見かける。
そういった広場は車の立ち入りが原則的に禁止で、建物の外壁沿いにはオープンカフェが設けられるのである。

Posted by taro at 2006年10月03日 23:05

コメント

緑は入り隅みの広場よりも出隅みのそれの方が多い、気がします。出隅みの広場にあまり出会ったことが無いので自信はもてませんが。
入り隅みの広場で緑は周囲を区切る柵として機能しているのか、または「建物に包まれているような安心感」ではなく「緑に包まれているような安心感」を与えるために存在しているのか…。

Posted by: Anonymous at 2006年10月04日 23:30

たしかに、出隅みの広場は入り隅みの広場より緑が多いかも知れないと思います。

僕がヨーロッパでよく見かけると書いた入り隅みの広場は、だいたい石畳かタイルが敷き詰められていて、たまに街路樹が植えられているという程度。

人が横切りやすいことを第一に考えた広場です。あるいは昔、教会でお祭りをしたり、青空市のために使っていたスペースなのかも知れません。

都市緑化という観点から言うと、必ずしも入り隅みの広場の方がいいとは言えないかも知れませんね。

Posted by: taro at 2006年10月05日 02:14

「街並みの美学には、とても興味があります。
京都の街並みに関しても、いろいろ思うところがあります。

「和ビキタス」って、面白い発想ですね。

Posted by: ゆみ at 2006年10月11日 09:28

書き込み、ありがとうございます。

京都のように何世代にも渡って作られてきた街並みには、いろいろな「良さ」が蓄積されているような気がします。

和ビキタスプロジェクトの今後の発展、かなり面白いのではないかと思っています。

Posted by: taro at 2006年10月11日 19:22

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