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2007年07月31日

外国の関西

高度なユーモアを駆使して日々のコミュニケーションが行われる関西という地域は日本において独特の位置を占めていると思うのだが、似たような地域が外国にもあるのだろうかというのは僕の長年の疑問であった。

より具体的に言えば、歴史的な古都である京都のような街は世界各地にありそうだ。開放的な港町である神戸に似た街も世界各地にあるだろう。だが、笑いを中心にすべてが回っている大阪のような街は他にあるのだろうか。

世界の広さを考えれば、どこかにあるに違いないとも思う。だが、聞いたことがない。

はたしてその地域でも関西と同様に、ボケとツッコミが笑いの基本として認識されているのだろうか。笑いの取れない男はまったくもてないのだろうか。

そんな風に気になって、ずっと悩んでいた。

それで外国人に会うたび、「あなたの国に関西はないか」と聞きまくっていたのだが、なかなか求める答えは得られなかった。

ところがこの前、ついに証言を得たのである。

それは神戸でトルコ料理店に入った時。日本語を饒舌に話すトルコ人のマスターに聞いた所、「ある」と断言してくれた。

「それは黒海沿岸だね」とのこと。

マスターはトルコの東の端の出身、クルド人とトルコ人のハーフなのだそうだが、トルコの北部にあたる黒海沿岸部の人々に関して、

「とにかく面白い連中なんだよね。彼らのイントネーションを聞いただけで笑える」

まさしく関西ではないか。

「何か変なことしても、『黒海やね』で済まされる。彼らはジョークもたくさん作るよ。日本にはあんまりそういうのが無いよね」

ジョークというのはつまり小噺形式の笑い話で、アメリカ人が好きなやつである。トルコ人も好きらしい。たしかに日本にはない文化だ。

「トルコには民族がたくさんいるから、エスニックジョークが多い。イスラム教徒ジョーク集、キリスト教徒ジョーク集、ユダヤ教徒ジョーク集。それぞれ一冊の本になってる」

黒海人はボケとツッコミをするのかは聞き忘れた。またトルコ人に会ったら聞いてみたい。

日本とトルコにそういう地域が存在するということは、他にもあるに違いない。今後も外国人に会うたびに聞いていこうと思う。「外国の関西」とかいう本を書いたりしたら、関西ではそれなりに売れるのではないか。

今、そういう地域に行ってもその面白さはあまり分からないと思うのだが、いつか自動翻訳機の精度が向上したら、外国の関西を旅して回りたいと思う。

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2007年07月27日

タイ料理店での食事会

kogeさん、hiroponさん、T村さん、taekさんと夕食および飲み会。竹屋町のタイ料理店バンコクガーデンで食事後、御池の亀甲屋で飲む。そういえばこのメンバーで前回集まった時もタイ料理店だった。

hiroponさんは最近、大学院に通うようになって時間ができて、十冊以上の小説を並行で読みまくっているらしい。プルーストの「失われた時を求めて」は2巻目を読んでいる所。主人公が自分の人生を異様なディテールで振り返るという全13巻の小説だそうだ。なぜ作者がそんな小説を書こうと思ったのかは謎だが、人間が人生を振り返った時、どんな風にそれを思い出すのかという分析は面白いのかも知れない。たとえば自分の人生の細部とか、どの程度まで憶えているものなのか。何を思い出せて、何を思い出せないか。

kogeさんは人と議論している時、「自分はこう考える」というのと「相手はきっとこういう風に考えているのだろうな」というのが同時に思い浮かんできて、その両方が面白かったりするのだが、片方をメモに書き始めた途端、もう一方を忘れてしまい、悔しい思いをすることがよくあるのだそうだ。発想のシリアライズに失敗している。人間の頭の中では頻繁に並列処理が行われているが、出力がシリアルであるという限界。

京都出身のT村さんと、「京番茶」は常にほうじ茶であるのだろうかという話。それでは番茶のことは何と呼ぶのか。京都の人は番茶は飲まないのか。

亀甲屋の付け出しでイカナゴの佃煮が出てきたのだが、姫路出身のtaekさんいわく、兵庫の明石より西のスーパーではよく「いかなご入れ」と書かれたタッパーウェアが売られているらしい。それに自家製のイカナゴの釘煮を入れて、ご近所にお裾分けするという伝統文化があるのだそうだ。

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2007年07月24日

友人の親孝行に付き合った

10年前に出会った時、友人Yは「悪人」を目指していた。
イベントサークルでダンパを主催し、多数の末端組織にチケットを売らせてかなりの収益を上げていたが、さらなる野望を抱いて起業を志し、もともと得意だったプログラミングに磨きをかけて、
「『あいつは大嫌いだけど、あいつに頼むしかない』と言われるような人間になりたい」と語っていた。

そんなYの母親が数年前、アルツハイマーになった。

根は善良な人間であるY、およそ悪人からかけ離れた親孝行ぶりを発揮し、病気が進行して知り合いの顔も分からなくなってきた母親をいつも吉本新喜劇に連れて行っているのだそうだ。ネタが単純なので、笑ってもらえるという。

美談だと思い、いつか僕も連れて行ってくれと頼んでいた。

最近は筑波で働いているためにあまり大阪に帰ってこないのだが、この前の週末、突然電話が掛かってきた。

「明日、おかんと吉本見に行くねんけど。行かへん」

「おお、それはぜひ」

「今回は新喜劇ではないんやけどな」

「あー。それは非常に残念。若手芸人じゃあんまり美談っぽくないな」

「そやねん……。中堅どころの芸人らしいけど」

しかし、それでもせっかくの機会。同行させてもらうことにした。

場所はお初天神通りに面して立つ「うめだ花月」。
連日おばさん客で満員という「なんばグランド花月」や10代の女の子で溢れている「baseよしもと」と違って、会社帰りのサラリーマンをターゲットにしているというこの劇場。日曜の午後だというのに空き席が結構ある。

七組くらいの漫才を続けざまに見て、個人的にはかなり楽しめた。
しかし、横に座っているYの母親の反応はそれほど良くなかった。
喋りのテンポが速すぎるためか、ただじっと見つめているという感じ。

やはり、新喜劇の方が良いような気がした。

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2007年07月21日

エヴェレットの多世界解釈とか

ちょっとエヴェレットの多世界解釈というのに興味を持って、本人の書いた論文とか読んでいました。

Hugh Everett, "Relative State" Formulation of Quantum Mechanics, Reviews of Modern Physics, Volume 29, Number 3, 1957.

無数の並行世界が存在する、みたいなイメージで語られることの多い多世界解釈ですが、そもそものモチベーションは波動関数の時間発展と収縮という二つの原理を設けるのをやめて、時間発展だけで考えようということだったようです。

そのため、観測者を量子力学的な系の外に置くのではなく、観測者も含めた系を考える。すると観測の瞬間に固有状態に飛び移るということはなくなって、無数の「観測結果」を重ね合わせた状態のまま時間発展していくことになる。孤立系としての宇宙全体を考えたら観測者なんてどこにも置けない、というようなことも書かれています。

エヴェレット自身は「多世界」という言葉は使っていなくて、「観測結果の重なり合い」という表現を使っているのみ。「多世界解釈」はデウィット(Bryce DeWitt)という人が後にエヴェレットの理論に与えた解釈のひとつなのだそうです。

この理論の問題のひとつとして、確率を考えないために、実験を繰り返し行った際に特定の頻度分布が生じてくる仕組みをどう説明するか、というのが挙げられるかと思います。

エヴェレットの論文では重ね合わせの状態 ψ=Σa_{i}φ_{i} におけるa_iの関数として測度mが導入されます。この関数が加法性の要請によりa_iの絶対値の二乗となり、測度なので確率と同様の振る舞いをする、と主張されています。

mが何の量を表しているかはそれほど明確に言及されていないのですが、「多世界」の解釈に基づいて意味を充てるなら、“世界数”あるいは“世界量”を表すことになるのでしょうか。つまり、ある事象が生じる世界の多さがその事象の確率的起きやすさに相当する。しかし、普通に観測を確率的現象と考えるのと比べて、まわりくどい気がしないでもありません。量子力学のモデルというより、確率論のモデルになっている気もします。いわば「確率の多世界モデル」。このあたりをもっと突き詰めて考える必要があるように思いました。

以下はwikipediaの記事からの要約なのですが、エヴェレットは博士課程生の時に考えたこの理論をボーアに見せ、軽く受け流されてしまって意気消沈。理論物理の道を捨て、シンクタンクを創業。自ら考えた最適化アルゴリズムを軍や民間に提供することで、大金持ちになったそうです。一方、1957年に注目されなかった論文は1970年代になって有名になり、時代の寵児に。しかし、主流な解釈となる所までは行かず。

また、エヴェレットの娘さんは統合失調症だったらしく、後に自殺。息子はそれなりに有名なバンドのボーカリストになったようです。


http://en.wikipedia.org/wiki/Hugh_Everett

息子
http://en.wikipedia.org/wiki/Mark_Oliver_Everett

なんというか、幸せとも不幸せとも言えない人生ですね。

Posted by taro at 00:29 | Comments (4) | taro's blog ℃

2007年07月09日

道に落ちている十円玉を拾ってみた。

道に十円玉が落ちていた。

思わず拾ってしまったが、次第にいけないことのような気がしてきて、交番に届けた。

「十円玉を拾ったんですけど」

机に頬杖を突いてぼんやり表通りを眺めていたお巡りさんに伝えると、奥の棚からA4版の書類を出してきて、

「ここに住所氏名と生年月日、職業と連絡先を書いてもらえるかな。それから拾った場所と時刻も」

と手際よく説明してくれた。

結構面倒だ。

「この十円玉はどうなるんですか」

「半年と14日間、警察で保管して。落とし主が現れなければ、国庫に納められる」

「毎年それなりの金額になるんですかね。全国で子供たちが拾っているとしたら……」

「なるんじゃないかな」

お巡りさんも暇だったのか、拾われた十円玉を巡る裏話を聞かせてくれる。

「昔のお巡りさんはさ、子供が十円玉拾ってきたら自分の十円を代わりにあげちゃったりしてたけどさ。今は全部書かなきゃ横領ですよ」

十円玉で横領というのも情けない。そういう事件がどこかで起きてくれれば面白いとも思うが。

「でも、子供が持ってきたら親に連絡してね。学校にお礼状出したりすることもあるよ」

親としては嬉しいだろうが、子供は絶対に学校でいじめられそうだ。

そうやって大人になっていくのだろう。

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2007年07月05日

最大エントロピー法、主観主義統計力学

院生のK藤くんが実験データを得られなかった領域に確率をどのように割り当てたらいいのかと聞いてきたため、最大エントロピー法というのを使えばいいのだと考えていろいろ調べていたのだが、そこから統計力学と情報理論の間をつなぐ文献をいくつか見つけて興味深かった。

最大エントロピー法というのは拘束条件が少ないため確率を一意に決定できない場合、全体のエントロピーが最大になるように割り当てを行えばよいという考え方。たとえば事象A,B,Cがあり、Aの起きる確率が1/2ということは分かっているが、残りの二つの起きる確率は分からない場合、BとCに1/4ずつの確率を割り当てるのが直感的にもっともらしいように感じられるが、これは実際エントロピーを最大化する割り当てになる。エントロピーは不確かさの指標であるので、与えられた情報が少ない時は余計な仮説を立てず、もっとも曖昧な推測をしておこうということ。等確率の原理と似ているが、天下り的に導入するのではなく、人間の推論の仕組みであるという裏付けを与えている。(情報量やエントロピーがなぜ知識や不確かさの指標であるかというのはシャノンの議論に準拠)。また、条件がもっと複雑な場合にも使えるというメリットがある。

もともとはギブスが統計力学の問題を解くために考えたモデルを二十世紀になってジェインズ(E. T. Jaynes)という人がより一般的なアルゴリズムとして提唱したものらしい。実はシャノンが情報理論で使ったエントロピーの定義 Σplog(1/p) も元はギブスがボルツマンによるエントロピーの定義 klog W を再定式化したものであって、ギブスエントロピーと呼ばれたりするのだそうだ。ギブスエントロピーにラグランジュ未定乗数法を適用するだけで熱力学におけるエントロピーの定義 dS=dQ/T や分配関数、ボルツマン分布まで出すことができる。

Information and Entropy: Energy
Information and Entropy: Temperature

最大エントロピー法の提案者であるジェインズは確率に関して主観主義者(ベイジアン)なので、統計力学におけるマクロ的な現象も系の客観的な性質ではなく、それに関する推測を行う際の観測者側でのルールに基づくものである、と主張している。つまり統計力学は「力学法則+統計的推測の理論」という風に切り分けられるということ。これだと分子が特定の状態にある頻度といったものを考えなくてよいため、エルゴード仮説も不要になる。

E. T. Jaynes, Information Theory and Statistical Mechanics, Physical Review, Vol. 106, No. 4. pp.620-630, 1957

Wikipedia記事: Maximum entropy thermodynamics

熱力学第二法則でエントロピーが増加するのは我々の知識が時間非対称だからだそうである。これは興味深い議論だと思うのだけど、あまりくわしい言及がない。

S. F. Gull, Some Misconceptions about Entropy, 1991

なお、日本語では熊沢逸夫「学習とニューラルネットワーク」(森北出版)や田中和之「確率モデルによる画像処理技術入門」(森北出版)といった本にもギブスエントロピーから熱力学的エントロピーの導出が載っていた。

Posted by taro at 01:07 | Comments (0) | taro's blog ℃