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2007年08月26日

戦中の話

帰省中、祖母から八十年の人生をダイジェストで聞かされた。かなり濃かった。

その中でもう十回くらい聞かされた話があって、内容を暗記してしまったので、せっかくなので書き記しておくことにする。

祖母が秋田県本荘市で家政学校に通っていた頃の話である。当時は小学校の後に高等小学校が二年あって、それから進路が分かれる。祖母の場合は二年間、家政学校で学んだ。つまり、今で言うところの中学三年から高校一年くらいの年頃の話。

家政を学ぶということで、当然女子校である。しかし、昭和初期という時代背景を反映してか、初代校長は滋賀県から呼んだ長刀の女教師だったらしい。設立当初は袴と縞の上着が制服だったそうだが、祖母の入学した年からセーラ服になった。秋田のあたりには大正デモクラシーの気風が都会より遅れてやってきたとかで、昭和とはいえ比較的自由な雰囲気の中で祖母は学んだという。

学校に下村先生という熱血漢の先生がいて、女子生徒の間で絶大な人気があった。祖母の話に何度も出てくる親友のAさんなどは、この下村先生にぞっこんだったらしい。師範学校出の若い先生だったそうだが、何が専門であったかは祖母に聞いてもよく憶えていないという。いろいろ教えてくれたそうだ。教師数が少なくて、いくつかの教科を掛け持ちしていたのかも知れない。とにかく生徒を激励し、自信を持たせようとする前向きな先生だった。

当時の校長は祖母の母方の叔父さんだったのだが、下村先生があんまり生徒に人気があるということでやきもちを焼いていたらしく、家に来るたびに祖母を呼び出して、彼の噂を聞いたりしていたそうである。

ところが折しも戦争が激しくなってきた。男であれば出征しなくてはならない。下村先生にも命令が下った。

それで自分の写真の裏に短い文章を書いて、祖母に渡したのだそうである。もちろん、他の生徒にも渡したのではないかと思う。祖母が今でもそらんじているのは、以下のような文章である。


おのこやも 空しかるべき 万代に 語り継ぐべき 名は立てずして
おおいにやれ。正しさと豊かさのため。あくまで歩め。
時々来てくれ。母の世話を頼む。さらば。


短歌は山上憶良の作。後世に伝える名を残せずに死んでいくのは悲しいものだ、というような意味。

祖母に言わせると、

「あの時代に『豊かさ』ってのがねぇ。他の人は言わなかったわよねぇ」

豊かさへの憧れを口にすることが憚れた時代なのである。

いや、それ以前に、戦争に行って死ぬことが空しいとか言ってる時点で問題がありそうだが、下村先生はそれで戦地に赴き、戦死したのだそうである。

昔は多くの人があっけなく死んだ。

Posted by taro at 2007年08月26日 23:45

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