2007年08月09日

仏教を一語で言い表すと

その日、僕はタイ料理店で昼飯を食っていた。

僕の食事はたいてい中華料理かインド料理かタイ料理なので、その店も頻繁に足を運んでいる場所のひとつである。

店内におかれたテレビは普段、タイの歌謡曲のDVDを流しているのだが、その日はたまたまタイの観光紹介のビデオを流していた。外国人向けビデオなのか、説明は英語である。

何気なく聞き流していたのだが、タイの寺院の映像と一緒に、「タイ人は何々を求めてお寺に来る」という説明が流れた。

その「何々」という単語を聞いた時、それが仏教というものを非常に良く言い表していると思い、変な所で感心してしまった。仏教の思想の簡潔な要約なのである。

それで僕は最近、「仏教を一語で表すならこの言葉だよね」といろいろな人に言ってまわっているのだが、納得してくれる人とくれない人がいる。

仏教に対する思いは様々であって、一語にまとめるなどということには無理があって当然なのだが、それでも面白くていろんな人に言ってしまう。

その言葉は仏教の思想的な側面と社会的な側面を共に表している点がよく出来ていると思う。英語では一つの単語で言い表せるが、日本語に訳した場合は二種類の語に分かれてしまうので、今まで気付かなかったのである。

さて、その言葉とは何でしょう。

比較のために、キリスト教を一言で表すとしたら、やはりLoveではないだろうか。

これはかなり多くの人が納得してくれる。少なくとも日本人のキリスト教理解はLoveで間違いなさそうだ。

キリストLove。愛の宗教だ。

仏教の場合は何か。

何でしょう。

もう答え書きますよ。

僕がタイ料理店で耳に挟んだ言葉は、Peaceである。

心の平穏と社会の平和。

日本語では「平穏」と「平和」という二つの語だが、英語の場合はPeace一語になる。

もちろん、かなり無理があるとは思う。1MBの画像を5バイトに圧縮するような荒っぽさだ。それでもこういう要約があってもいいのではないか。

キリストは地上にPeaceをもたらすつもりで来たかも知れないし、仏陀のLoveは素晴らしいものかも知れない。

しかし、やはりしっくり来るのはキリストLove、仏陀Peaceという気がする。

そう考えるとヒッピーがよく使うLove and Peaceというのは含蓄のある言葉だ。
東西の思想を融合させているような所がある。

Posted by taro at 21:07 | Comments (6)

2007年03月13日

関西弁を学ぶサークルがあったらいいのにと思いました。

魅力ある大学院教育イニシアティブ」 というプロジェクトの一環で 「戦略的コミュニケーションセミナー」 というのをやっていて、英会話学校のベルリッツから外国人講師の先生を呼び、英語でのプレゼンやディベート、果てはネゴシエーションまで行う能力を高めるという意欲的なセミナーなのですが、教員もオブザーバとして参加できるということで、少しだけ覗いてきました。

大学院生らが予想以上に活発に英語でディスカッションしていて、なかなか意義深い活動のように見受けられました。講師の先生が喋らせ上手というのもあると思います。

さて、英語に関していえば学ぶ機会が非常に増えてきていると思うのですが、僕が常々欲しいと思っているのが 「関西弁を学ぶサークル」 です。

英会話を学ぶ場所はあるのに、関西弁を学ぶ場所はなぜ無いのか。

関西弁でのプレゼン・ディベート・ネゴシエーション。役に立ちそうな気がします。

四月、関西圏外からやってきたうぶな新入生を捕まえて、

「関西弁をマスターして関西人の友達をたくさん作りませんか?」

などと言葉巧みに勧誘していけば、結構人気のサークルになれるのではないでしょうか。

現状では関西弁を体系的に学ぶ場所が無いため、非関西人は我流のエセ関西弁を操り、聞いていて恥ずかしかったりするわけです。

そういうニーズに応えるために、発音・文法・語彙などを基礎から学べる場所があってもよいのではないかと思います。

まずはネット上に存在しないか調べてみたら、こんな教材が……。

関西弁教材(動画/練習問題付き)

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2007年02月05日

学年概念の超克によるいじめ対策案

今日は修士課程一回生の研究発表会というのがあり、専攻のM1学生全員がスーツ着てひとり八分ずつ進捗状況を報告し、それに対して教員がコメントを入れるという日でした。人数が多いので、2パラ(二つの部屋で並列に実施)です。

我が専攻にはアドバイザー報告という良く出来た制度があり、学生は自分の指導教官の他、二名の先生にアドバイザーになってもらい、年に二回、研究の進捗状況を報告するようになっています。通常、二名のアドバイザーのうち一人は専攻内、もう一人は専攻外、可能であれば学外の先生に頼みます。僕も何人かの学生のアドバイザーをしているため、彼らの発表を中心に聞いてまわりました。

そのうちのひとり、喜多研究室で情報教育を研究しているH原くんは学部生の頃は核融合の研究をやっていたそうなのですが、YMCAで子供達と関わるボランティアをしているうち、教育は非常に重要であると考えて、大学院から喜多研に来たそうです。

彼がYMCAの活動をしていて驚いたことのひとつが、そこにはいじめというものが存在しないように思えたこと。高学年が低学年の面倒を見るため、いじめのようなみっともないことはできないという雰囲気ができていて、非常にうまくいっていたそうです。

学校でいじめが起きるのはそこに自然な上下関係が無いため、自分より下のものを作りたいという欲求が働くのではないかいう仮説を立てていました。

ひょっとしたら人間は猫というより犬に近い生き物で、ある程度大きな集団の中に上下関係が無いと落ち着かないのかも知れません。

ではなぜ学校教育では学年単位で生徒を分けるかといえば、年齢によって理解の度合いが違うため、教える内容を変えなくてはならないからです。すべての学年に同じ内容を教えていたら、六年生にとって簡単すぎるか、一年生にとって難しすぎるかのどちらかです。

しかし、よくよく考えてみれば早生まれと遅生まれでは生まれた時期が一年も違います。それなのに同じ内容を教えている。

結局の所、教師ひとりに生徒多数という制約があるため、適当な範囲でまとめなくてはならず、一年区切りということになっているのだと思います。

そこで、今までのように一人の教師がクラス全員に教えるのではなく、コンピュータを使って生徒それぞれに最適な教材を提供できるようになれば、一年生から六年生までを縦割りにしたクラスなどが実現されるかも知れません。

(ただ、H原くん自身は生徒が黙々とコンピュータに向かって個別学習する方式は良くないと考えていて、教育現場で使われるコンピュータは「パーソナルコンピュータ」ではなく「ソーシャルコンピュータ」であるべきだという提唱をし、そのための実装を進めています)

ここでもうひとつ、僕がいじめを無くす案として考えてみた画期的な案が、学年の中に年長/年少関係を作ってしまうという方法。

つまり、現在の日本の感覚では学年がひとつ違えば先輩・後輩の関係になりますが、これを月単位まで分割してしまう。

12月生まれが11月生まれを「先輩!」と呼ぶと、「おう、どうした?」という返事が返ってくる。

学年単位で上下関係が決まることと同じだけの必然性があると思うのですが、どうでしょうか。

この「学年内序列関係」を小学校に導入することによって、ひょっとしたらいじめが減るかも、と思ったりしました。

こういう実験的な制度を導入してくれる学校が現れて欲しいと思います。

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2007年01月28日

コピペで英会話

友人Yが大阪から京都に来ていたので三条で飲みました。

彼はなかなか変わった人間で、学部生の頃に血痰吐くほど働いて(←本人談)IT系の上場企業の社長まで登り詰めたのですが、これから発展していく別の分野でビジネスしたいとか言って会社をやめてしまい、現在はアメリカの面白げな研究所で働くことを目標に勉強しています。

その彼の英語勉強法がなかなか独特です。

映画のマトリックスが好きらしく、二十回くらい見てセリフを丸覚えし、それをテンプレートとして会話しているそうです。

例えば主人公のネオがモーフィアスと最初に出会った時、

ネオ: It's an honor to meet you.
モーフィアス: No, the honor is mine.

という会話をするらしいのですが、

「これ、この前外人と会った時、そのまんま使ったしな」 とY。

「コピペで英会話かよ」

マトリックスの他、バック・トゥ・ザ・フューチャーは十回、スティーブ・ジョブズのスタンフォードでのスピーチも十回くらい見て、フレーズを憶えまくっているそうです。

自分が感動できるものを通して何かを学んでいくのはいいことだと思うのですが、実際の所、映画や演説に出てくるフレーズをテンプレートとして使い、単語を置き換えて様々な表現を作っていくという方法、案外広く使えるのかも知れません。

日本人が英語を書く時、よく冠詞 a や the を落としてしまいますが、これは要素単位で翻訳していくからかも知れない。テンプレートをたくさん憶えておけば、「何か抜けてる」と気付くのではないでしょうか。

「コピペ英会話」、あるいは「テンプレート英会話」。

英語学習書のタイトルとしても使えそうな気がします。

Posted by taro at 23:34 | Comments (4)

2007年01月01日

あけましておめでとうございます。

今年も皆様にとって良い一年になりますように。

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2006年11月18日

仕事をしている時に向かない音楽

音楽を聴きながら仕事していることが多く、最近はスウェーデンのインターネットラジオ局である Soundic Radio をいつも聴いています。

プログラムを書いている時や、日本語で論文を書いている時には英語の曲を聴いていても気になりません。しかし問題は今日のように、英語で論文を書いている時。

英語の曲を聴きながら英語の文章を書くのは非常に負荷が大きい。脳が二つないと無理です。

なので、クラシックとかが趣味な人はいいなと思います。

今日は SoundicRadio を聞いていたら、Lazyboy の Facts of Life という曲が流れてきて、しばらく仕事になりませんでした。

ちょっと笑える変な統計を延々と並べているだけの曲です。

・世界で一番知られている単語は「オーケー」で、二番目が「コカコーラ」だそうです。

・人は平均一日13回笑うそうです。

・聖書よりもたくさん印刷された唯一の本はIKEAのカタログだそうです。

・ギネスブックは図書館から盗まれることが一番多い本としてギネスブックに載っているそうです。

本当なんでしょうか……。

とにかくこんなトリビアが延々と続いていく曲。

何かを並べただけの歌詞といえば、Billy Joel の We Didn't Start the Fire という曲もあったなぁと思いましたが、最近は以下のようなフラッシュがあるようです。これもよくできている。

Billy Joel "We Didn't Start the Fire" on Flash

Posted by taro at 21:37 | Comments (4)

2006年11月16日

こども科研費という制度があったらいいのにと思いました。

子供の学力アップのために、「こども科研費」というのがあればいいなと思いました。

子供たちが「こんな勉強をしたい」「こんな研究をしたい」というプロポーザルを書いて、文科省のお役人がそれを審査する。

あるいはコンテストのようなものを開いて、それに優勝した子供が獲得するとか。

用途は研究や勉学に関するものなら基本的に自由。
良い塾に行ってもいいし、家庭教師をつけてもいいし、本や情報機器や実験器具を買ってもいい。

ゲームや漫画を買ったりすると、「研究との関係は?」と聞かれる。

対象範囲は小学四年生から高校三年生くらいまでで。

文科省の人と会う機会があったら、提案してみたいと思います。

Posted by taro at 21:13 | Comments (4)

2006年11月10日

日本の食文化

ふと思ったのだが、日本の食文化って、本来はアミノ酸、つまり肉類を求めている人間の味覚を、ダシや醤油の使用によって騙しだまし満足させていくことで形作られてきたと言えないか。

人間の肉食性を海草や菌類の利用や発酵調味料の発明によって手なずけてきたわけである。

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2006年09月19日

ライフログ検索が重要になるのではないかという予想

週末、昔の知り合いのN井さんから連絡があり、京都に来ているので飲まないかと誘われた。

N井さんは現在は三重県で大手化学メーカーに勤めているが、大学時代、友人たちと「シエスタ」という名前の同人誌を発行していた。

本人たちは文芸同人誌と呼んでいたが、巻頭の特集では全身に墨汁を塗って真っ黒な状態で街を歩き女の子にきゃーきゃー言われることを趣味にしているKさんという男性に対するインタビューなど、突撃レポート的な側面の方が秀逸な雑誌であった。

寺町三条のサンシャインカフェにて会う。移動体通信会社でSEをされているK橋さんを紹介してもらい、三人で飲む。

K橋さんは最近、大学の社会人向け講義を受講しているらしく、授業でユビキタスホームの話が出てきたとかで、非常に興味を持っておられた。僕の研究室の教授が以前、情報通信研究機構(NICT)に関わっていた頃、隣のグループでそれを研究していたため、ちょっとだけ接点がある。

そこから話題が広がり、今後の世の中はどういう方向に発展していくのだろうかという話になる。

実は数日前、教授が文科省にプロポーザルを出す際、10年後を見据えて計画を立てなくてはならないということで、これからの情報技術がどうなっていくかについて雑談したばかりだったのである。

僕は個人的に『ライフログ』がすごく発展するのではないかと思っている。つまり、自分が見たことや聞いたことをすべて小型のカメラやボイスレコーダに記録し、検索できるようにする。人生におけるあらゆる体験、あらゆる会話が検索できるようになる。

強迫観念的なメモ魔である僕ならではの予想と言えよう。

ライフログを蓄積すること自体はそのうち可能になるだろうが、重要なのはそれをいかに検索するか。ウェブ検索、デスクトップ検索などとはまったく違う技術が必要になってくると思う。

ライフログを巡り、K橋さん、N井さんといろいろ面白い会話。

まず、ライフログの普及によって実際に記憶することの価値が薄れるだろうという予想。必要な時にはライフログを検索すれば良いのである。

「旅行に行く意欲が薄れるかもね。データをライフログにダウンロードすれば十分、みたいな」とK橋さん。

そこまでは行かないかも知れないが、日本人は旅先で写真を撮ってばかり、という外国人における日本人イメージを返上できるかも知れない。その代わり、ヘッドマウントディスプレイ付けた変な連中、というイメージの方が定着してしまうかも知れないが。

「ライフログを使ったら、デジャブの疑問が解決するとか。『本当にこの光景、見ていたんだー』って」とN井さん。

デジャブ検索、いいと思う。実は視覚的な類似性は何もなくて、単に匂いが似ていただけだったり。いろいろ分かるかも知れない。

ライフログ検索に加えてもうひとつ、漫画/アニメ検索にも将来性があるのではないかと思う。

Google Booksに対抗して、あらゆる漫画/アニメをスキャンし、検索できるようにする。

これは先日ポーランドで国際会議に参加した折、熱烈な漫画愛好家である南アフリカの女子大学院生から聞いた話なのだが、アメリカには「Manga University」という名前の出版社があり、漫画を読むために日本語を勉強する本などを多数出版しているそうである。

漫画検索、アニメ検索が実現されれば、全世界から利用されるだろう。

漫画が簡単に検索できる → 全世界の人々が漫画を買う → 日本のコンテンツ産業の活性化 → 日本は安泰

非常に重要である。

Posted by taro at 23:58 | Comments (4)

2006年08月04日

テンペ

僕はもう長いこと発酵食品の信者なのですが、最近、新しい発酵食品と出会いました。

マスメディアにも取り上げられ、あちこちで食べられるようになったので知っている方も多いかと思いますが、
インドネシアの納豆と言われる「テンペ」。
大豆を発酵させた食品です。

京都では河原町御池下ル西側にあるバリ料理の店「ワヤン」や
堀川二条西入ル北側「楽園ASIA」などで食べることができます。

インドネシアでは結構一般的な食べ物らしく、
炒め物にしたり煮物にしたりして、様々な形で使われるとか。

テンペはテンペ菌によって作られるのですが、
テンペ菌には実は立派な和名があるようです。それは、

「クモノスカビ」

このカビの菌糸が豆に入り組んだものがテンペなので、実質、クモノスカビを食べていると言ってもいい。

これをそのまま料理の名称に使うと、

「クモノスカビの炒め物」
「クモノスカビの煮物」

売れなさそうです。

ネーミングは大事ですね。

正確には「クモノスカビの一種がテンペ菌」という位置づけのようですが。

淡泊でなかなか美味です。

Posted by taro at 18:14 | Comments (6)

2006年07月19日

人間の仕事は例外処理か

年末に行う国際シンポジウムに投稿された論文をチェックし、
査読者に割り当てるという仕事をやっているのだが、
例外的なことを行う人が多く、それへの対応に非常に時間がかかる。

全体の一割以下を占めるこの人たちへの対応に大半の時間を取られている気がする。
例を挙げれば、

・全然関係ないテーマで論文を送ってくる人。

・指導している学生に代わって投稿してくれたけど、その学生のメールアドレスを間違えている人。

・壊れたpdfを送ってきたので送り直してくれるように頼んだら、「僕の所でも開けません。投稿するのやめます」とか言ってくる人。

・名前が二種類あるイランの人。

などなど。いろいろ。

自分も他の所では例外的なことをよくしていそうな気がするので、人のことは言えないが。

こんな対応ばかりしていると、人間が行う仕事というのは主に例外処理なのではないかとさえ思えてくる。

今後、単純作業の自動化はますます進められていくと思うので、この傾向はさらに強まるような気もする。

遠い将来には、飛行機事故とか地震とか、大事件が起きた時だけ人間は働くようになるのだろうか。

Posted by taro at 23:05 | Comments (6)

2006年07月01日

明日は一年の真ん中の日です。

お正月に立てた目標、半分くらい達成できましたでしょうか?

僕はぼちぼち。がんばっていきたいと思います。

Posted by taro at 19:03 | Comments (9)

2006年03月11日

メーラー/かな漢字変換について

最近、書かなくてはならないメールの量がかなり増えてきて、
長年使ってきたメーラーのBecky!に不満を感じたりすることが多い。

何が欲しいかというと、複数の条件を指定してメールを検索する機能である。

Aさんが一ヶ月くらい前に送ってきた、
本文中にBあるいはCという単語の入ったメールの一覧が見たい、
というのがBecky!だとやりにくい。

EdMaxというメーラーでは検索式を使った検索ができるようだが、
いちいち検索ダイアログボックスを立ち上げて式を入力しなくてはならないのが面倒くさい。

理想としては、emacsの検索のようにコマンドひとつで検索を呼び出し、
検索条件の指定もすべてコマンドラインで行いたいのである。

Mewならそういうことが出来るのかも知れない。
エディタはいつもMeadowを使っているのに、Mewは使っていない。
導入したいツールのひとつである。

この前、研究室の人たちと飲み屋で飲んでいる時、
近年のGUIの進歩はめざましいが、
コマンドラインインタフェースはそれほど発展していないように思える、という話になった。

教授いわく、学生の頃、大学の大型計算機センターに初めてDECのマシンが導入された時、
それにemacsが入っていた。
皆、非常に興味を持って、わざわざ輪講を開いて勉強したらしい。

それから何十年も経っているが、
emacsの機能はあまり変わっていないんじゃないかという気がする。

すでに行き着くところまで行き着いたのか。
あるいは今後、またふたたび急速に進歩したりするのだろうか。

個人的な好みから言えば、かな漢字変換ソフトがもっと活用されてもいいのではないかと思う。

メールでは定型的な文書を書くことがあまりにも多いので、
よく使う表現を辞書に登録するようにしている。

たとえば「てづん」と打つと、「手塚です。」に変換される。

「だいがくでんわ」や「だいがくふぁっくす」というのも登録してある。

大量に登録しているうちに文法のようなものが作られてきて、
「たいん」なら「大変申し訳ありません。」だが、
「たいんた」だと「大変申し訳ありませんでした。」と出力される。

「ありん」なら「ありがとうございます。」
「ありんた」なら「ありがとうございました。」である。

この方法の何が良いかというと、PCであればあらゆる環境で使えるし、簡単に別のマシンに移せるところである。
整理や編集も簡単である。

しかし、少し不満もあって、たとえばメールの末尾に以下のフレーズを書く場合。

お手数おかけして申し訳ありませんが、
どうかよろしくお願い致します。

これは、なるたけ二行に分けて書きたい。
ところがATOKでは変換後の文字列に改行を入れることが出来ないため、

おてすんが
どうかん

という風に、二回に分けて入力する必要がある。

理想としては、「おど」と入力するだけ出てくるようにしたいのである。

これはジャストシステムにぜひ改良していってもらいたい点である。

関連する話として、最近、研究室におけるSKKユーザのN田くんから、
「AZIK(あずいっく)入力」というのを教えてもらった。

かな漢字変換ソフトのひとつ、SKKにおいて開発された文字入力簡略化手法であり、
母音列を一文字で打ち込める仕組みである。

たとえば「dp」と入力すると、「どう」と表示される。
pという一文字がouという母音列を表しているのである。

「kh」であれば「くう」。つまりhはuuという母音列を表す。

日本語において子音が(ほとんど)連ならないことを利用して、冗長性の少ない符号化を実現している。

さらに複雑なところでは、「さん」はsn。「すん」はsj。「そん」はsl、で変換できるらしい。
なぜかというと、uの下がj。oの下がlだから。

AZIKというのは「あーずっといい感じ」の略だそうである。
慣れるとやめられなくなるらしい。

ATOKをアズイック入力に対応させる辞書もあるとのこと。

京都の東寺の横で外国人宿を経営している知り合いの蜷川さんは、
大学院生の頃、「英語用のかな漢字変換システム」の研究をしていたとのことだが、
まるで冗談のように聞こえるその研究、実はかなり意義があったのではないかと最近思ったりする。

emacsの場合、単語単位で候補を表示してくれる機能はあるが、
文章レベルで補完するのは無かったのではないか。

アズイック入力の英語版というのも考えられると思う。
英語でもdpという連なりは(略称等を除いて)ありえないのであって、
それをdouと変換してくれる機能があれば、入力の簡素化に繋がるだろう。

Posted by taro at 18:46 | Comments (7)

2006年02月15日

デジカメの電池に関して。

フラッシュ用の電池と、動作用の電池が分かれているデジカメがあればいいと思います。(もうあるのかな?)

フラッシュを使いすぎたせいで動作しなくなってしまうことが多く、
フラッシュは焚けなくてもいいから、動いてくれとよく思います。

Posted by taro at 21:30 | Comments (6)

2006年02月12日

Soundic Radio, The Yorkers, All I Want is You

iTunesのラジオ一覧に入っているスウェーデンのインターネットラジオ局、
Soundic Radioの放送が最近すごく気に入っている。
選曲がかなり好みである。

スペイン語のような発音でDJが入るが、おそらくこれがスウェーデン語なのだろう。

先月リリースされた The Yorkers の All I Want is You (Central Seven Remix) という曲がヘビーローテで流れていて、これもかなり気に入ってしまった。

Posted by taro at 10:02 | Comments (0)

2006年01月05日

コンセントマップ

前々から、コンセントの使える場所の情報を集約したサイトがあればと思っていたのだが、
それの渋谷版を見つけた。

http://www.mi-ri.com/docodemo/op2m.html

しかし、これはコンセントを使わせてくれるお店の情報というわけではなく、
屋外に露出したコンセントの場所を示すものである。

寒風吹きすさぶ中で仕事をしたいという人を除けば、あまり使えないのではないか。
盗電でつかまる可能性もある。

たとえばGoogle MapsのAPIを使って、
コンセントの使えるお店の情報を誰でも自由にコメント付きで登録できる、
というサイトがあればいいのだが……。

どなたか、ご存知ないですか?

Posted by taro at 23:29 | Comments (5)

2006年01月01日

あけましておめでとうございます。

今年もいろいろ目標を達成していきたいものです。

Posted by taro at 17:01 | Comments (0)

2005年12月23日

一万日カウンター

僕は微妙に過ぎてしまったのですが、
こんなものを作ってみました。

http://130.54.20.195/~tezuka/howmany/days.cgi

一日一日を充実させたいです。

Posted by taro at 03:42 | Comments (0)

2005年12月07日

一度も会ったことのない人と仕事をするのは結構大変

来年の十一月に香港で行われる国際ワークショップで共同主催者をすることになったのだけど、
もうひとりの主催者というのがアイルランドの大学にいる人で、まだ会ったことがない。
メールのやりとりだけである。
その人と協力して計画を立て、仕事の分担をしていかなくてはならない。

こういう状況は、僕は苦手だと思った。

相手がどんな人なのか、メールの文面からだけでは想像できない。
細かな人なのか、大ざっぱな人なのか、気さくな人なのか、厳格な人なのか。
会ったことのある人だと何となくイメージを作ってこちらの対応を考えているのだと思うが、
それが無いと、やりにくい。

以前、あるベンチャー企業の社長さんと話していて、
取引先との打ち合わせのほとんどをネット上で行うというのを聞いて、
それでも大丈夫なのですかと聞いたら、

「一回会ってしまえば、あとはオンラインでも大丈夫。」

と言っていた。

今回、まさにその通りだと思った。

いくらネットが進歩したと言っても、
フェイストゥフェイスの会話が与える安心感にはまだ太刀打ちできていないと思う。

Posted by taro at 21:07 | Comments (5)

2005年12月05日

おいしかったチョコレート

このチョコレートはおいしい。

「ショコラ・ジャポン みやびひめ」。

http://chocolat-japon.jp/

Posted by taro at 21:43 | Comments (0)

2005年11月08日

デスクトップサーチと過去の欲求

この前、ニューヨークに行った時。たまたま立ち寄ったアップルの店で、
iTunes Music Store (iTMS) のアメリカ版のプリペイドカードというのを見かけて、
おもわず買ってきた。

実際、日本版のiTMSでは売っていない曲も多く、かといってアメリカ版のiTMSで購入しようとすると、

「アメリカで発行されたクレジットカードしか使えません」

などと言われて、はじき返されてしまうため、以前から不便に思っていたところだったのである。

さっそく、プリペイドカードの番号を登録。好きな曲をダウンロードできるようになった。

僕はラジオの曲で気に入ったのがあると、歌詞をウェブで検索したりするので、
Googleのデスクトップサーチで「歌詞」と検索したところ、閲覧履歴からあれこれ出てきた。

あー、この曲、買っとかなきゃ、とか思いながら、何曲かダウンロード。

おそらくデスクトップサーチというものがなければ、
これらの曲を購入することは無かったのではないかと思う。

曲だけでなく、良いなと思った商品とか、観光地とか。
いろいろな情報が履歴に入っている。

デスクトップサーチの普及によって、
現在の欲求のみならず過去の欲求にまで動かされるようになるとしたら。

これからの時代の消費者は忙しくなりそうだ。

Posted by taro at 23:43 | Comments (0)

2005年11月04日

締め切り前

人間は誰でもそうだと思うが、締め切り間際の生産性はすごい。

いつもこんなだったらいいのに。

誰か、僕を騙し続けてくれないかな。

「明日が締め切りですよ」とか。

それか、上手に騙してくれるスケジューラソフトでもいい。

「あ、すいません、日付、間違えてました」とか言って。謝るの。

Posted by taro at 20:04 | Comments (0)

2005年10月28日

報道と株式

海外発のIT系の記事などを読んでいて、それが特定の会社の業績を褒めちぎっていたりすると、
「ひょっとしてこの人、その会社の株持ってるんじゃないの」
とか、勘ぐってしまうことがある。

もし仮に僕がどこかの会社の株を持っていて、それが小さなIT企業であり、
株価がちょっとしたことで変動したりして、
しかも僕が記者やライターだったりしたら。

その会社を褒める誘惑にかられてしまいそうだ。

個人がたくさんの株を持つようになると、報道はどれだけ中立性を保てるのだろう。

お金の力はすごいからな。

Posted by taro at 00:09 | Comments (0)

2005年10月25日

投票と情報

10月11日に書いた「投票に意義を感じさせる方法」に対して、
youkosekiが自分の日記でさらなる提案をしてくれていた。

http://youkoseki.com/diary/2005/10/12

得票数に応じて当選確率が決まるという仕組みを考えている。
この場合、たくさん得票したからといって、勝てるとは限らない。
候補者としては、一票でも多く欲しいと感じることだろう。
たしかに候補者側から見れば、一票の価値は増していそうだ。

任期の長さに反映させるというのでもいいな。
一票につき、数分にはなるのではないか。

大切な議決の前に、あるいは国会での質問の直前に、

「はい、時間切れです」

とか言って、退場になってしまう。

「あの時、もう一票取っておけば……」

一票の重みをかみしめてくれることだろう。

とにかく、僕が投票した一票をもっと役立ててくれということだ。

これは情報損失の問題と言い換えられるかも知れない。

僕はA党に投票したのである。その情報を使って欲しいのである。

多数決という仕組みでは、有権者が送った情報が非可逆的に圧縮されてしまう。

だいたい、投票というやつは手間が掛かりすぎる。
たかだか数ビットの情報を送るのに、なんで投票所まで足を運ばなくちゃならないのか。

もう少し楽に投票できるようにしてほしい。

あるいは、もう少したくさんの情報を政治の場に届けられるようにしてほしい。

Posted by taro at 00:24 | Comments (0)

2005年10月12日

日が暮れる時刻

東京に出張。

日が暮れるのが早くてびっくりする。

関西より15分早いものな。

この季節は特にその違いを感じる。

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2005年10月11日

投票に意義を感じさせる方法

木屋町の八文字屋にて、知人のkogeさん、hiroponさん、kさん、mさんと飲む。

投票という行為にあまり意義を見いだせないという話をする。

自分が投票してもしなくても、選挙の結果は変わらない。
一票の差で当落が決まるということは、ごく希にしか起きない。
これは厳然たる事実。

自分の票で選挙の結果が変わらないとしたら、投票に行く気になれない人が多いのも無理はない。

それで、各人が投票に意義を見いだせるような選挙システムについて考えてみた。

1. 投票率がものすごく低い。
結果として一票の重みが増している。

2. めちゃめちゃたくさんの候補者が立候補する。
一票の差で当落が決まったりするので、みな真剣に投票する。

3. 政治家以外の役職や賞も同じ選挙で決めてしまう。
一票を好きなことに使える。
結果的に政治家の候補者に入れる人が減り、一票の重みが増す。
候補者は、いかに政治に興味を持ってもらうかという点からスタートしなくてはならない。一票が非常に貴重。

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2005年10月04日

柿の味

以前、青森の奥入瀬で行われた学会に参加した時、
宿泊したホテルの廊下にたくさんの掛け軸がかけられていました。

その中のひとつに、間宮英宗さんという臨済宗のお坊さんの描いた掛け軸があり、
柿の木の絵が描いてあって、その横に

王公も 乞食も同じ 柿の味

と書かれていました。

柿を食べられる量に違いが出てくるような気もしますが、
味はたぶん同じですね。

仏教的な平等思想というやつでしょうか。

Posted by taro at 21:34 | Comments (0)

2005年09月26日

ブロードウェーにて

マンハッタンの人ごみの中を歩いていたら、ブロードウェーと7番街の交差点に設けられた特設ステージにて、いきなりコンサートが始まった。

このあたりはミュージカルの本場であり、数十の劇場が大通りの周辺に点在している。それぞれの劇場がひとつの舞台を長期間上演するというスタイルを取っているため、長いものになると十年から二十年、毎日同じ舞台が同じ劇場で演じられる。それでも人が集まり続けるところが、ニューヨークのすごいところである。

交差点でのコンサートは、各劇場の出演者たちがステージにあがり、代表的な曲を歌うというイベントだった。

何グループか歌った後、レントというミュージカルの番になった。これは、ニューヨークのイーストビレッジという地域に暮らす貧乏な若者たちが、失業したり薬中になったりエイズになったりしながら、限られた命を懸命に生きるという話である。その舞台で使われるSeasons of Loveという曲が、街を歩く人々に向かって歌われる。


Seasons of Love

Five hundred twenty-five thousand six hundred minutes,
Five hundred twenty-five thousand moments so dear,
Five hundred twenty-five thousand six hundred minutes,
How do you measure - measure a year?
In daylights, in sunsets, in midnights, in cups of coffee,
In inches, in miles, in laughter, in strife.


たしかに一年の長さを分で表現したら、525,600分になる。

歌詞はその後、一年をSeasons of Loveで数えようという方向に進んでいくのだが、僕は分で数えるという箇所に妙な感銘を受けてしまった。

三十年の人生なら、15,768,000分。六十年の人生なら、31,536,000分。

自分に残された時間が一年しかないとしたら、
525,600分。

たとえ三十年残っているとしても、
15,768,000分。

人生の長さとは、それだけの瞬間の集まりである。

同じような話を以前、何かの本で読んだ気もする。

しかし、ニューヨークの街中をせわしなく歩く人々の間に佇み、流れ行く時間を思う時、奇妙な感覚にとらわれた。

長い宇宙の歴史、人類の歴史の中で、自分に与えられた時間がいかに短いことか。

驚くべきことである。

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2005年09月14日

動的整理法

書類や文房具の置き場所を忘れてしまい、机の引き出しや本棚を探し回った挙句、なんとか見つけることができたとする。

その場合、見つけた場所を記憶しようとするのではなく、最初に探した場所に移動させてしまうことにしている。

ぼくの脳にはあまり可塑性がないのか、もう一度見つからなくなった時にも同じ場所から探し始めていることが多い。あらかじめ移動させておくことで、その時にはうまく見つけられるようになる。

これは電子的なファイルの場合も同じで、見つかりにくかったファイルは最初に調べたディレクトリに移動させてしまう。また、検索に使ったキーワードをファイル名に付け加えたりもしている。

こういったことはすでに多くの人が実践しているのかも知れないが、ぼくが実践するようになったのはそれほど昔のことではないので、書いておく。

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2005年09月13日

シミュレーションとしての回想

人間の脳は、光景そのものを憶えているのではないと思う。

フォトグラフィックメモリーのある人でもない限り、映像をそのまま保存していることはない。

細部は思い出せないし、思い出すたびに違ってくるような気もする。

おそらく人間は見た光景そのものではなく、「何々を見た」という命題を記憶しているのではないか。

そして回想するたびに、映像を作り出している。

視覚野にある認知のパターンを利用して、回想のたびに光景を描いている。

回想とはシミュレーションだと思う。

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2005年08月25日

新しい保険を考えるということについて

知的障害者の子供を持つ親が亡くなった時、
現在の公的な保険制度では子供に十分な保障が与えられないため、
AIUなどの保険会社が新しい保険を開発しているという新聞記事を読みました。

このような保険が保険会社にとって利益になるということを確認し、
商品として成立させるために使われるのが保険数理という分野だと思うのですが、
こんな分かりやすい形でも世の中の役に立っているということにちょっと感銘を受けました。

購入者にとってメリットのない商品は売れないわけですから、
売り手と買い手の双方の利益になる新しい保険を開発していく。

最近、知り合いの人がそういう仕事に就いたのですが、
市場という枠組みの中で人々を助けていく活動として、
お役所とは別の形で社会貢献をしているように思えて、興味深いです。

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2005年08月23日

時代の時間

昔の映画は長かったという話を、友人としました。

ベン・ハーは三時間半。十戒は四時間近く。

昔の人はそれを普通に映画館で見ていたのでしょうか。

学園祭ではたまに二十四時間耐久アニメ上映会とか開かれたりしますけど、それはもうネタの世界です。

昔は映画の他に娯楽が無かったから、みんな映画に没頭できたのではないかと友人は言います。

しかし、映画だけでなく音楽の長さもどんどん短くなってきている気がします。

たとえば十分以上の長さのヒット曲って、あまり無い。

クラシックだったら十分は短い方ではないかと思います。

ぼくがクラシックを聴く習慣が無いので、やたら長く感じられるというだけではありますまい。

これはもう、時代が作品の長さを規定している。人々に時間感覚を共有させている。

ひょっとしたらぼくが老人になる頃にはさらに社会のテンポが速くなっていて、
映画はみんな一時間くらいの長さで、
三十秒くらいのみじかーい曲の切れ端が「歌」と呼ばれているかも知れない。

そしてカラオケでは十秒ぐらいさびの部分だけ歌って、次の人の番になる。

なんて忍耐力の無いやつらだ!

しかし、ぼくらが映画館で四時間の上映に耐えられないことを考えると、
あながちありえないことでもないと思えてきます。

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2005年08月15日

花火

先日、琵琶湖花火大会に行ってきました。
なかなか良かったです。

特徴は、花火が打ち上がる範囲がすごく広いところでしょうか。
浜大津と膳所、二つの会場があって、それぞれに面した湖面から打ち上がるため、
パノラマ風な花火大会です。
視界いっぱいに花火が打ち上がるというのは綺麗なものです。

すでに存在するのかも知れませんが、
どこかの島の周囲をぐるりと取り囲むように花火を設置して、
「全方位花火大会」というのを開いたら、結構人が集まるのではないかと思いました。

終了後、京阪三条の駅前で知人のKさんとジュース片手に二時間くらい語りました。

素粒子論の研究をしていたKさんは、
シミュレーションの発展で人間の考え方が大きく変わるのではないかと予測していました。
多くの現象がシミュレーションで予測できるようになっていくにつれ、
現象に対する理解というものがどのように変容していくのだろうという話をしました。

Posted by taro at 23:56 | Comments (0)

2005年08月13日

雑談。フランスのことなど。

フランス文学を研究している友人、厚生労働省に就職した友人と今出川で食事。

いろいろ雑談。

戦後五十年の頃はもっと反省・反戦ムードだったのに、
戦後六十年の今はちょっと美化ムードになっていないかという話。
十年経てば変わるものだ。

フランスのクイズ番組には「溜め」が無い。
回答者が答えてすぐに、司会者が「残念、不正解!」とか言ってしまう。
日本のテレビ番組は「溜め」の使い方、「間」の置き具合が優れている。

外国の映画ではよく日本人が集団でしか行動できない存在としてからかわれているが、
そろそろ日本映画で外人をからかっても良いのではないか。
みんなで力を合わせてプロジェクトXをしている時に、
ひとりスタンドプレーしようとして台無しにしてしまう外人とか。
そんなステレオタイプ。

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2005年08月11日

電子ブック

隣の研究室で講師をしているY先生を道やバス停で見かけると、
いつも文庫本サイズのモバイル端末を片手に持って、熱心に読みふけっています。
歩きながら読んでいて、二宮金次郎状態です。

前から気になっていたのですが、昨日、専攻のビアパーティーで一緒だったため、聞いてみました。

「あのー、Y先生がいつも熱心に読んでいるモバイル端末は何なんですか」
「ああ。あれはソニーのリブリエ。電子ブック」
「やはり本を読んでるわけですか」
「そう。読みたい本をダウンロードして、一定期間だけ読める。貸本スタイルで。だけど、ダウンロードできる本の種類が少ないから、自分でも作ってる」
「作ってる?」
「文庫本を裁断して、ドキュメントスキャナーで取り込んで……」
「それってまさか文庫本を背表紙のところで切って……」
「そう」
「もったいなーい!」

ぼくは本を切るということに何となく心理的抵抗を感じてしまうのですが。
変な感覚です。
コピー用紙を切ることはなんとも思わないのに……。

リブリエの本体は四万円ほどですが、裁断機が一万円、ドキュメントスキャナーが十万円したそうです。

リブリエのサイト:
http://www.sony.jp/products/Consumer/LIBRIE/

Posted by taro at 20:19 | Comments (0)

2005年07月24日

顔と脳

先日、顔の研究している先生の話を聞く機会がありました。

他人の顔を見ている時、脳にどのような変化が生じるかをfMRIなどで調べているそうです。

いろいろ面白い話があって、笑っている人の顔を見た瞬間、
脳の中では自分の顔を笑わせるのに使うのと同じ部位が反応しているとか。

これはミラーニューロンという仕組みで、笑い以外の行動でも発見されています。
たとえば仲間が道具を使うの見ているチンパンジーの脳の中では、
自分が道具を使う時と同じ部位が活性化しているようです。

つまり、他人の身体は自分の身体でもあるということですね。少なくとも脳にとっては。

こういう話を聞くと、脳もプログラムを再利用したりするのだな、とか思います。

どちらが先なのかは分かりませんが、ある目的のために作られたニューロンの塊が他の処理に使われている。

脳の使われ方はプログラムの作られ方といくらか似ているのではないでしょうか。

ニューラルネットワークのプログラマーであれば、もっといろんなことが分かるのではないかと思います。

Posted by taro at 19:05 | Comments (2)

2005年07月14日

ユビキタス社会になると、みんなかっこよくなるのではないかという予想

テレビに素人さんが出てくると、動きがなんだかぎこちないです。
特に研究者の人とか。
インタビュアーに質問されるたび、不必要なくらい頻繁にうなずきながら答える人が多いです。

そんなにうなずかなくていいよ、というくらい首が上下に動きます。

一方、芸能人は動作がこなれています。うなずき過ぎることはありません。
ディレクターに「うなずき過ぎないでください」とか言われているのかも知れませんが、
それよりもむしろ自分の映像を何度も見ているうちに、動きがこなれてくるのではないかと思います。

スポーツ選手が自分のフォームをビデオで見て調整するようなものだと思います。

ビデオに撮った自分の映像を見てみると、いかに落ち着きがなく、洗練されていないかが分かると思います。

たとえばバーでしぶく飲んでいるつもりでも、自分が飲んでいる姿をビデオに撮ってもらう機会はあまり無いわけで、
本当にしぶく飲めているのかどうか分かりません。

基本的に一般人は自分の姿をビデオで見る機会があまりありません。

少なくとも現在までは。

でも、時代は変わりつつあるようです。

今後、ユビキタス社会が訪れるのではないかと言われています。
これは最近よく主張されている次世代のコンピュータ環境のあり方で、
コンピュータが机の上や鞄の中だけでなく、あらゆる場所に遍在するようになる、という状態です。

ユビキタスというのはもともとはキリスト教の神学の言葉で、日本語に訳すと「遍在性」。
神は天国だけにいるのではなく、全宇宙のあらゆる場所に存在しているのだという、スケールの大きな神学理論です。

ユビキタスはモバイルと対比されたりします。
モバイルは各人が自分用のデバイスを持ち運ぶことを意味するのに対し、
ユビキタスでは環境の方にデバイスが埋め込まれている。
室内や街や自然のあらゆる場所にデバイスがあって、
たとえモバイルデバイスを持ち運ばなくてもコンピュータの力を享受できる。

現在はまだRFIDタグなどから短い情報を取得するといった機能しか実現されていませんが、
今後はさらに多くの情報をデバイスに取得させる方向に発展していくのでしょう。

だから、次のステップとして、環境の中に大量のカメラが組み込まれていくのではないかと思います。

あらゆる場所に埋め込まれたカメラが状況を判断し、ユーザに適切なサービスを提供する。

悪い人に映像を集められてしまう危険性もあるわけですが、
悪い人の映像を集められる便利さもあるので、あった方がいいという人も多いのではないか。

プライバシーの概念の発達した北の方の国ではあまり発展しないかも知れませんが、
南の方の国ではかなり普及するのではないか。テロ対策にもなります。

街中至るところにカメラ。少なくとも公共の場所には大量のカメラ。

いくらビデオカメラが小型化しても、自分の姿を撮ることは難しい。
モバイルでは限界があります。
自分が見たものをすべて録画することはできるかも知れないが、自分を被写体にすることは面倒です。

一方、ユビキタスだとあらゆる場所に埋め込まれたカメラで自分の行動を記録できる。

それを見れば、自分が今までどれだけかっこわるい動きをしていたかが分かる。

バーでしぶく飲んでいるつもりだったのに、実はしぶくなかったことが分かります。

毎晩自分の動作を観察して修正していくことで、
みんなどんどんかっこよくなっていくのではないかと思います。

Posted by taro at 23:35 | Comments (4)

2005年07月04日

営業の電話をなんとかしてほしい。

週末、実家に帰っていたのですが、
昼のあいだ何度も商品販売や勧誘の電話が掛かってきて、
そのたびに出なくてはならない。
家にいる人は大変なのだなぁとあらためて思いました。

そこで以下のような商品を考えました。

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目的:営業の電話を撃退したい

概要:
家にいると営業の電話が頻繁にかかってきてうざったい。

提案:
ボタンを押すと「適当に受け答えモード」に切り替わる電話。

相手に切られるまで相づちを打ち続ける。

この電話が普及すれば無意味な営業の電話が減って社会のためになる。

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今はまだ携帯の通話料が高いからいいですが、
もっと安くなったら携帯にも営業の電話がかかってくるようになる気が。

それはかなりつらいものがあります。
携帯会社にはぜひ対策を考えてもらいたい。

Posted by taro at 00:28 | Comments (0)

2005年06月28日

メゾコミ・メゾリティ・メゾナー

先日、知り合いの人たちと飲んでいる時、メゾスコピック系の物理の話が出ました。

メゾというのは中間という意味で、日常的なスケールよりは小さいが
個々の分子よりは大きなスケールでの現象を扱う物理。
最近特に盛んに研究されているそうです。

そこから話が逸れて、
マクロ経済とミクロ経済の中間くらいに
メゾスコピック経済学という分野ができてもいいのじゃないか、
とかいう話になりました。

スケールが違うと理論が違うという話。
そして中間的なスケールが狙い目ということ。

経済学だけじゃなく、他にもありそうです。たとえば、

マスコミとミニコミの中間の「メゾコミ」。
新しいスケールにおけるメディアです。
一部のブログなどがその役割を果たし始めているような気もします。

マジョリティとマイノリティの中間の「メゾリティ」。
マイノリティというほど小さくないけど、マジョリティと呼べるほど大きくもない集団。
今後、価値観の多様化によってマジョリティが解体し、多くのメゾリティに分かれていくのかも知れません。

メジャーとマイナーの中間の「メゾナー」。
中途半端なメジャー具合やマイナー具合を表す場合に。
例:「この曲はちょっとマイナーだけど」→「この曲はメゾナーだけど」

Posted by taro at 00:05 | Comments (2)

2005年06月14日

代弁

星新一のショートショートに「肩の上の秘書」という作品がある。

未来の世界では誰もが肩の上にロボットインコを乗せていて、自分の言いたいことを代弁してもらっている。
たとえば営業マンが主婦の前で商品を説明する時、「買え」とぼそりとつぶやくと、インコがそれを翻訳して、

「今日は奥様にぜひお勧めしたい商品をお持ちしました。どうか一度お試しになっていただいて……」

主婦が「いらん」とつぶくと、今度は主婦の肩の上のインコが

「申し訳ないんですけど、今、主人が不在なものですから。私だけでは決められませんの。帰ってからふたりで相談してみますわ」

と翻訳してくれる。そんな素敵な未来社会の話。

しかし、時代はまさにそういった社会に突入しつつあると思う。

たとえば僕もメールを書く時、同じ表現を打ち込むのが面倒くさいので、かな漢字変換ソフトの辞書に追加する機能を使って、
「いつもん」と入力すると「いつもお世話になっております。」
「せんじつん」と入力すると「先日は大変ありがとうございました。」
「よろしくん」と入力すると「どうかよろしくお願い申し上げます。」
などと変換するようにしてある。

こういった変換機能がもっとインテリジェントになっていけば、今ほどメールの作成に時間を取られなくて済むようになるはずだ。
実際、次世代のメールソフトには文章を敬語に改めるくらいの機能が搭載されてもおかしくない。

こうして大脳新皮質の機能がどんどん外化されていって、人間は再び辺縁系だけの生き物に戻っていくのだろう。

Posted by taro at 20:24 | Comments (2)

2005年06月10日

昇格

むかし、日本に軍隊があったころ。

兵隊さんが戦死すると
階級がひとつ上がって
一等兵が上等兵になったり
少尉が中尉になったりしたそうですが
それについてぼくは

アホくさ。
死んだあとに階級がひとつ上がったくらいで
何が嬉しいねん

とか思っていましたが

実は大学という場所では今でも

助手のまま定年を迎えると
最後の日に助教授に昇格したり

助教授のまま定年を迎えると
教授に昇格したりするということが
行われているというのを聞くに及んで

なるほど
それなら分かる

と妙に納得しました。

Posted by taro at 20:21 | Comments (2)

2005年06月05日

こんな自動車が欲しい

今日、交差点で信号が青に変わったのにすぐに発進しなかった車があって、
うしろからクラクションを鳴らされていました。

クラクションが鳴った時の「ブゥ」という音は、なんだか腹を立てているみたいでいやな感じです。

鳴らしている方は軽い合図のつもりなのかも知れないけど、怒っているのとあまり区別つかない。
(単にぼくがクラクションを使ったコミュニケーションに慣れていないだけかも知れませんが)

それで、車は「ブゥ」以外にもいろんな音を鳴らせるべきではないかと思うのです。
「ピヨ」とか「カッコウ」とか。

たとえばipodの操作ボタンみたいに、指でくるりと回すと「カッコウ」。叩くと「ブゥ」。

そしたら街はもう少しなごやかになるような気がします。

Posted by taro at 20:18 | Comments (4)

2005年06月04日

ウェブ日記について

これだけblog、というよりウェブ日記が流行っているのを見ると、
やはり人間には強い自己表現欲求があるのだなと感心していたのですが、
案外そうでもないらしくて、この前の飲み会でウェブ日記を付けている後輩と話していたら、

「別に誰かに読んでもらいたいわけじゃないんですけど、
 誰にも見せない日記は長続きしないじゃないですか」

つまりウェブ上で日記を付けたいという欲求があるわけじゃなくて、
数々の「こっそり日記」が死に絶えた結果として、ウェブ日記だけが生き残る。

なんだか生物の進化みたいですが。

しかしこの仕組みは結構使えそうな気がします。

人が見ているということを利用して、ひとりでは続けられないことを続ける。

禁煙マラソンも同じ仕組みでしょうか。

Posted by taro at 20:08 | Comments (0)